↑The Fourth Reich=第4帝国
ポッドキャストを聞いていて、興味深い指摘がありました。AMERICA'S 51ST STATE-NEW CALIFORNIA HISTORY-CHILD TRAFFICKING-HUNTING HITLER-PAUL PRESTON | The Common Sense Show
ヒトラーの死亡に関してはいろいろな説があり、少なくとも1945年に防空壕で自殺したのではないことは確実となっています。今回はヒトラーが1970年にインドネシアで死亡したという説を取り上げます。英訳されていませんが、インドネシアで出版された本です↓
まず、2022年に当方が書いたヒトラーのアルゼンチン脱出についてです。
1945年に南極近くのパタゴニアに、潜水艦が到着した。ナチスは世界大戦で敗戦したシナリオを戦時中から考えており、パタゴニアを拠点として準備していた。(ここから南極の氷の下にナチス帝国がある、という都市伝説?が生まれている)
アルゼンチンの当時のペロン大統領が尽力し、ナチス幹部らは同国に落ち着いた。
ヒトラーはアルゼンチンの町・バリロチェ(Bariloche)に滞在した。整形していたが、町では誰もがヒトラーのことを知っていた。噂がひろまると、死んだことにして他の町に移り住んだ。ヒトラーは徐々に健康を損なっており(1945年終戦時では56歳)側近のマルチン・ボルマンが指導権を握るようになった。戦後ナチスは第4帝国と呼ばれるが、もともとナチスが戦前戦中にヨーロッパ中で略奪した財宝(何兆円相当か)が活動の土台となっている。そのカネを管理したのがボルマンである。
1958~1959年ごろにはヒトラーは神経系の病気に苦しみ、1962年2月13日に心臓発作で死亡した。
あるエピソードが証言されている。1985年、ある弁護士の事務所に夫との離縁を望む女性が現れた。ヒトラーとエバ・ブラウンの娘、ハイディだった。
ヒトラーの死亡説はもう一つあり、1987年死亡ともいわれている。
マルチン・ボルマンに関しては、1948年にヒトラーに続いてアルゼンチンに移り住んだ。裕福なビジネスマンを装い、各国と取引をしていた。ボルマンのDNAは1998年に確認されている。
結局、終戦でドイツからパタゴニアへ、3万人のナチス関係者が秘密裡に脱出した。その手助けをしたのはカトリックのバチカン法王庁、国際赤十字、そしてオランダ航空である。オランダの現在の国王の祖父に当たるベルンハルト王子は、ナチスの士官だった。
ヒトラーは戦後、自分から主導権を奪ったボルマンを恨んでいたそうです。そして頻繁に、収容所で殺された何百万人もの亡霊によって毎夜悪夢に苦しんだと。
重要なポイントはナチスが欧州で略奪した財宝が経済基盤となり、戦後ナチスが生き残り、多くの大銀行や大企業が恩恵を受けたということだと思います。その気の遠くなるような財宝を管理したのは、ドイツ銀行だともいわれています。世界の金融機関はナチスの財宝の恩恵を受けています。(日本にも山下財宝がありました)
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さて今回のヒトラー1970年死亡説をCopilot君に聞いてみたところ、陰謀論だと返ってきました。内容としては、1970年にインドネシアで死亡したDr. ペヒというドイツ人がヒトラーだったという説で、インドネシアの海で発見されたナチの潜水艦がヒトラーを運んだのではということ、ヒトラーと会話したという地元住民の証言があること、などです。
copilot君が陰謀論と言うなら逆に調べる価値があるので、Wikiでペヒ医師を見に行きました。
1895年に現在のポーランドで出生、1921年に医師となる。1938年にナチス党に入党。オーストラリアのザルツブルグで安楽死の業務に関わっていた。終戦後、米の戦犯狩りから逃げ回り、1954年にイタリアからインドネシアへ渡った。
インドネシアでクリニックを経営、現地の女性と結婚し(ペヒはポーランドに妻あり)、1970年に死亡。
ヒトラーだったという説には疑問も呈されている。額や耳の形が違うという。
右がペヒ↓
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ペヒという人物が実際いたけれども、インドネシア逃亡後或いはその前にヒトラーとすり替えられたのでしょうか。
戦後ナチスを徹底的に調べた著名ジャーナリストの一人、ピーター・レヴェンダがペヒの墓で語っています。↓
ちなみに戦後ナチスに関して、もう一人の有名ジャーナリストは故ジム・マースです。
今回、ポッドキャストで聞いたことは(20分から始まる)
ディスカバリーチャンネルの「Hunting Hitler」シリーズの調査担当者によると、
ヒトラーは確かにアルゼンチンからインドネシアに移って、1970年に死亡した。ヒトラーはバチカンやその他支配勢力と合意を交わしていた。それは、自分が死んだ翌年の1月1日から「第4帝国を開始する」ことだ。第四帝国 - Wikipedia
国連のアジェンダ21(発表は1992年)はヒトラーのプランだった。ビッグファーマの(ワクチンなど?)特許が1971年以降急増した。
ヒトラーは米国を侵略するのが夢だった。米国はその通り弱体化してきた。
ということです。確かに、人口抑制・削減努力も1970年代から活発化している印象を、当方は以前から持っています。
世界の人口削減を訴えたキッシンジャーレポートは1974年に発表↓
日本人も沢山参加する三極委員会はイルミナティの手先機関、1973年結成↓
人口削減を唄うローマ・クラブは1968年結成だが、その後ロックフェラーに使われた可能性↓日本人会員あり。
世界支配をもくろむイルミナティには大きく分けて、共産主義勢力とナチス勢力があると
言われます。この二つは本来天敵のはずが、どこかの時点で手を打って協働し始め、棲み分けている可能性があります。欧州はナチス勢力(バチカン、王室)、米国は民主党が共産主義、共和党ネオコンはナチスであるというように。
ロスチャイルドとロックフェラーは、19世紀までは対立していたけれども、どこかで手を結んだそうです。
日本にも、ナチスと共産主義の両方が入ってきていると思われます。
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